感情と理性と子供の教育と

自分にはまだ子供はいない。が、子供ができたとしても、なんとなく、学業は不得手なような気がする。また、あまり積極的にならない子供になるような気がする。自分や、相方の言動、行動をみていると、なんとなくそんな気がする。特に思うのは「怒りをぶちまけるだけで、それに対する改善を考えない態度(特に自分)」は教育にはよくないな、ということである。
自分の教育の根底の考え方として、「基本は肯定、部分は否定(修正)」というものがある。
法に触れることでない限りはその行動は肯定したい。(ただし、この場合の法とは、本当に重大犯罪のみであり、在る程度の「生き残るための悪賢さ」としての触法行為は許容するものである。もちろんそのさじ加減をおしえることがもっと大事だが。)そしてその上で「この部分についてはそれをすると損するからやらないほうが賢明だよ。こういう点に注目するとおもしろいかも。」という風に教えたい。また、何か問題があったときでも、「それが起こった状態では、それを非難するよりは最善になる次の手を考えよう」という風に教育したい。非難をするだけでは愚痴を言ってるのとなんら変わりないと思うし、非難するだけで行動しないことは、最悪、カルト宗教やナチズムのような思想に取り込まれていくことになると思うからだ。(そのようなカルト宗教は、非難していることをあなたに代わって変えますよ、という風な顔をして近づくことも多いと思うから。)
しかし、日常生活では「基本は否定」という行動をとることが多いかもしれない。これは、あまりよくないことだと思う。しかし、そういう行動をとってしまう。「基本は否定」をやってしまうと、そのことを「やってほしい」とおもっても相手は二度と行動しない。否定されることの痛みを体で知るからである。そう思う。