成功体験について

何かをしようとするときは、「成功体験」が大事だと思う。ときには厳しく、ということも必要かもしれないが、それでは、人が成長するまでにはとても時間がかかると思う。今の時代、「厳しい」だけでは人は成長しないかもしれない。
何かを始めたとして、その最初の体験が「成功」であるか「失敗」であるか、それによって、その物事への見方、好き嫌い、ひいてはその人の人生観まできまるだろう。
たとえば、僕はスキーをするが、妻はスキーをまったくしない。これは、最初の体験によるところが大きいだろう。僕は、小さいときから雪の上で遊ぶことが普通で、その延長でスキーをする。そして、「楽しい」と思う。しかし、妻は、最初にスキーをしたときには「寒い」という思いが強かった。これでは、そのあとも楽しめないだろう。
いまの場所では、仕事について、そのような成功体験(達成感といってもいいかもしれない)を感じたことは本当に1度あったかどうかである。その一方で、最初から最後まで否定された、という思いは、とくにここ最近はとても強い。それゆえ、いまの場所は、もう成功体験を得る、すなわち成長の糧を得ることはないだろう、とおもっている。そのような場所からは、早くはなれなくてはいけないし、早くはなれたい。
どんなことであっても、最初の最初で「成功体験」を与えること、そしてそれを得ることは、とても大事だと思う。また、成長の過程で、適切な形での「小さな成功体験」を与えることが、その人を成長させる大きな原動力になると思う。 ぼくにとって、そういうことはここにはなかったが。
もっとも、「人をふるい落とす」のが大きな目的となるようなところ(実力主義プロスポーツの世界とか)は、「厳しい」もありかもしれないが。しかし、そのような場所にいる人は、その厳しさの先に「大きな成功」があることを「体で知っている」からこそ、厳しさに耐えたり、あまつさえ自ら厳しさを求めていくことができるのだとおもう。