発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) [新書]

発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) [新書]」
(URL:http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%81%AB%E6%B0%97%E3%81%A5%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E7%A5%A5%E4%BC%9D%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-190-%E6%98%9F%E9%87%8E%E4%BB%81%E5%BD%A6/dp/4396111908)
を読んでみた。発達障害や情緒障害については、もともと興味がある。また、自分が多分該当するだろうと考えている。そうでなければもっと「うまく」仕事ができているはずだから。 
さて、自分は本当に発達障害なんだろうか? 社会的な適応性はたしかに低いだろうけれど。ということで、自己診断のホームページもある。(URL:http://www.geocities.jp/yanbaru5555/selfDiag1.htm)

[2010-09-01] 追加。リンクなりトラックバック打っていいのかなぁ。。。
発達障害においては、社会的な適応という点で、「特に日本社会においては」問題になることがおおい(と僕はおもっている。) それに関して、そのださんの「極楽せきゅあ日記」におもしろいエントリがあった(URL:http://d.hatena.ne.jp/sonodam/20100901/p3)。さらにこれの元記事は、「「相手にこう思われたらどうしよう」を、捨てよう。」(URL:http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20080722/1216664081)である。 そのださんのエントリの中で、「ノンバーバルコミュニケーションニュータイプ化」という発言があったが、そのような「ニュータイプ化」があるとすれば、それは、極論すると、「障害者の排除」にもつながるような気がした。むろん、進化していくのが「ニュータイプ」で、そのようなノンバーバルコミュニケーションができない人が「オールドタイプ」とするなら、「オールドタイプ」は淘汰されてしまうのだろうか。 この点では、自分も典型的オールドタイプであると思っている。そのためもあり、このエントリは、とても怖く感じた。