父の誕生日によせて。

今日は自分の父の誕生日である。もうかなりの高齢であるが、しかし、パソコンは使えている。もちろん、ばりばりに使いこなせてるわけでもないし、ましてや「PCで」プログラムを組めるわけでもない。しかし、父はかつては 紙カード(!)で FORTRAN66(!)でプログラムを組んでたことがあるらしい。しかも、自分が生まれる前、もう40年以上も前のことである。ちなみに、その当時のハードは、主記憶は「磁気コアメモリ」だったらしい。ということで、コンピュータ使用歴は、僕は、どうひっくりかえっても父には絶対にかなわないのである。
そんな父に電話したところ「プリンターにデータが打ち出せない」とのことだった。プリンターの動作については、テストページの印刷で確認しているようだったので、ソフトが原因であるらしい。しかし、そこからは、電話越しでは分からなかった。
そして思ったことがある。それは、「コンピュータは道具である」ということだ。父はかなり高齢だが、しかしコンピュータは使える。ただ、なぜ使えるのか。それはやはり、「何かの目的があるから」だと思う。コンピュータがしられてたなかったはるか昔に使うことができたのも、今使えているのも「目的」があるからだ。昔であれば、父は建物の設計をしてたのでその強度計算、今であれば、小売をしているので確定申告のための情報整理が目的となる。目的をもつならば、コンピュータは使える。あくまでもコンピュータは道具である。
父に電話して、あらためてそう感じた。